日本人の殺気

昨日の幸力の会「レイキと統合医療について」の講演内容には、世界から見た日本人として部分で眼からウロコの事が多々ありました。
O先生、面白いこと知っていたな~なんて余韻にひったっていたら、ちょうどNHKで司馬遼太郎思惑紀行この国のかたちというのをやっていました。
私は正直司馬遼太郎の小説はあまり読まないし時代劇もそんな興味がないのですが、「日本人とは何か」というテーマには妙に惹かれて見てしまいました。
日本人が様々なものを柔軟に受け入れてきたことを色々な角度からみていってました。
あ、話は元に戻して「殺気」の話です。
私も以前は「気」という見えない世界の話をする時に、
「人が後ろからじーっと見ていたりしたら、なんか気が付きますよね。例えば殺気とか」と例えで話していたことがあります。
今ではレイキを学びに来る人は最初からヒーリングを学びたい、手からのエネルギー(ハンドパワー)によって自分や人を癒す力を得たいと思って来て下さいます。
昨日O先生が何回も言っていた、「時代は変わった」のです。
なので、殺気の話もすることがなくなっていましたが、この事も日本人独特の気への敏感さがかかわっていたなんて、ワオでした。
あ、話みえませんよね。
つまり、欧米などで例えば殺気を感じるといっても、本当に何も気配なくそれを感じるという映像があり得ないという話です。
例えば、カタッと音がしたり、ガラスに何かが映って、そしてそれを殺気として表して、攻撃されるまたは敵などがいる様が分かり、次に攻撃に移る、、、というのが一般的流れなわけです。
ところが日本では、そういう予兆なく、殺気を感じて攻撃する、例えば武士が話をしている時になんの唐突もなく刀で切るなどの場面を想像すると想像できますよね、そういう感じの事です。
それがごく普通に受け取ってきたことが実は、外国人には分からないことだったりする事に目からウロコ、びっくりしました。
それ位に日本人は本来とても「気」への敏感さをもっているということなんです。
そして、レイキという目に見えないエネルギーが分からない、分からないと言い続けることなく、分かるまでやりましょうねぇ、練習しましょうねという大事な教訓も教えていただいた2時間でした。