大往生我が家で迎える最期を見て

NHKで「大往生 我が家で迎える最期」を見ました。

様々な在宅介護の姿が出ていましたが、最期までお家でというのを望む本人と、家族も出来ればそうしたいと思いつつ、体調や認知の問題などが出てくる中で、何よりも介護する家族が疲れ果てて来るときの姿も、医師が感じてあげて、少しでも休んで疲れを取ることを思いやり、期間を決めてのステイや、施設への入居などの選択も描かれてきました。

 

印象的だったのは、自宅で最期を迎えるお父さんを、目の見えない娘さんがずっと一緒に介護をしてきた姿でした。

臨終の時には、その家に、近所に住むお姉さんや姪っ子さん、皆が集まり、最後は目の見えない娘さんが手を握り、呼吸が止まるのを確認して看取りが終わりました。

「あ、今、呼吸が止まりました」という娘さんの言葉が映像から流れてきます。

 

それを見ながら父の看取りの時を思い出しました。

あの時に始めて平穏死という言葉を知りました。

最期は私と妹のいるときに、ほんの三呼吸で往生していった父でした。

亡く前の数ヶ月には大波小波があり、突然の顔面麻痺もあり、その時には本当にかわいそうで、辛かったです。

最期までの2週間はたくさんのレイキヒーリングを送りました。

でも、亡くなるときにはキレイな顔に戻ってくれていました。

 

ところで、テレビの中の在宅医師は80歳の方でした。すごいですね。

同じ80歳でも介護される側、介護をする側と大きく分かれる時代です。

さて、どちらを選択するか!

 

正直な話、私は人生の長さが長ければ良いとも思っていませんし、病気で亡くなるのが負けとも思っていません。

人生の中で、自分が輝いた瞬間、人生の目的に気づいてそれを達成した瞬間、これらは自分の魂にちゃんと刻まれて、そして向こうにもっていけるのです。

黒柳徹子さんが自身の体験を話していたのですが、とても愛した人がいて、外国人だったそうです。

その人との遠距離恋愛の交際期間はその人が亡くなるまで20年を超えていたとのこと。別れは男性の他界できたそうです。

「人間はね、その愛し愛された記憶があれば、ずっと生きていけるものよ」と言っていました。

素敵な記憶として魂に刻まれているのだなと、だから、黒柳さんは前向きに生きていらっしゃるんだなと理解しました。