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亀の歩みのヒーラー人生

この数年特にそうだと感じるのは、人に親切にされることが増えたなということ。

 

そして、直接人というよりも、めぐりめぐって親切にされている、つまり物事がスムーズに進んだり、ラッキーだなと感じることが増えたり、護られているなと思う事が増えたりしている感じ。

 

でもそれって、きっと、今までもそういう事がたくさんあったのだと思うのですが、それを実感として感じるのが薄かったのかもしれません。

 

「感謝」の気持ちが自然に湧くという、そんな能力が強まってきたのかもしれません。

なんだ、そんな能力なんてと思う方もいますが、

同じ行為や同じ良い結果を得ても、感謝の気持ちが湧く人と、湧かない人、反対に、反発する人もいますから。

これも喜怒哀楽を感じる力と同様に感受性のひとつだなと。

 

私自身が亀の歩みでスピリチュアルということに馴染んでいったのと、職業柄レイキヒーラーだったり、アクセスコンシャスネスの事をしているので、現在では出会う人もスピリチュアルな世界の探求されている方がほとんどですから、日常生活と精神世界の境目がありません。

 

ところが、大概の人は、日常生活は不便で生きにくく、違和感のある世界と感じ、別に精神世界というものがあると感じ、別世界の中であると認識する人が多いかと思います。

 

最近ではそれが統合している人が増えているようにも思いますが、ある時から私自身がもともとその区分けを感じることがなく、スムーズにスピリチュアルな世界に馴染んでいってしまったようです。

 

というのは、幼いころから、自分て何? 自分は何のために生きているの? 自分は何を欲しているのだろう? 自分の生きる意味は?等々、まさにスピリチュアルな課題と向き合ってきたからなのでしょう。

 

周囲にそれを理解するような人がいなかったですし、なので、ある面生きずらさがありましたし、変な子だったと思います。

 

そういう経緯もあったので、大学では心理学の方に進んだのですが、一向に自分のことは分からず、臨床実習の時など、感受性が強すぎて(今の言葉で言えばエンパス)だったので、良い面もありましたが、ネガティブに引きずられて狂いそうになったりしました。

とても病院に務めるのは難しいだろうなと。

 

諸事あって、結局心理士への道は進まず、サラリーマンしました。

サラリーマン時代はメチャメチャ働き、メチャメチャ遊んで、たくさんの社会勉強しました^^;

 

それから何年も経ってから、自己探究とヒーリングということに出会って、ああ、自分を知るっていうのはこういうことだったのだと、腑に落ち、トラウマを癒し、自らが光の存在であることの経験をしたりして、ああ、ヒーリングが出来る人になりたいと感じ、ヒーラーへの道を進むことになったのです。

 

その師匠が今一緒に仕事をしているヒューマン&トラスト研究所所長の青木先生です。

青木先生が、その後、私にレイドウレイキを教えてくれました。

何も、ツールがなくヒーリングをすることよりは、レイキのような体系づけたものがあった方が私の進歩が速いのではと考えてくれたようです。

確かに、レイキを得て、手を当てることによる癒しが今まで以上に分かりやすく、やりやすくなりました。

あれから、20年以上経ちますが、いまもまだ亀の歩みですが、ヒーラーとしてだけでなく、自分自身を高めることへの前進を続けていきます。

 

あら、今日はなんだかまとまりのない話になってしまいました。